大学の研究室で教授を務めていたしゅういちは、漢字で「周一」と書く。
同僚や教え子たちは、親しみを込めて「いち」を伸ばす発音にし、「シュー教授」と呼ぶことにしていた。
歳は四十過ぎ。毛量は多いけれど、白髪を染めないので老けて見える。
しかし性格は明るく、人当たりも優しかった。
生徒の勉強を、その子が解かるまで親身になって指導していた。
親身になり過ぎたのかもしれない……。
あとになって、シュー教授はその頃のことを、幾たびも思う。
自分が、若い時から長年、研究していた新薬の開発。
やっと完成させることができた、偉大な発明。
それを学会に発表し、世間に広めるための資料。
盗難にあった。
死に物狂いで探したが、どこからも見つからない。
見つかった時には、すでに薬の性能は、世間に知れ渡っていた。
誇らしげにその資料を持つ、教え子の顔を、シュー教授は忘れない。
一躍「時の人」となった生徒の名前は、「藤崎」。
彼女は美しさの中にずる賢さを秘めていた。
今まで裏表なく接してきたシュー教授だったが、大きな裏切りを知り、絶望の中で相手を憎み、自分を恨んだ。
そして大学も辞め、シュー教授はもう教授ではなく、ただの周一になった。
炎天下。
夏まっただなかの、暑い日だった。
体から水が、血管から血が蒸発してしまいそうで、周一は道端に倒れ込みそうになった。
電柱に肩をついて持ちこたえ、ゆっくりと顔を上げる。
溶けるように陽炎が揺れる、長い上り坂の向こうに、大きくて、高い、青々とした山が広がっていた。
微風が吹いて木々が揺れ、青や緑が入り混じる。
クラクラとした頭の中で、砂嵐のような音が舞う……。
額から汗が目のきわを流れて、痒いようなこそばさを感じた。
それでも目は、じっと山を見ていた。
周一は手に持ったコンビニ袋だけを連れ、その坂道を歩き出した。
暑さから逃れるためだけでなく、山は、他の何かからも、自分を守ってくれるような気がした。
美しくて醜い、藤崎の呪縛からかもしれなかった。
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~ 読者の方へ ~
お読みいただき、ありがとうございます。
一言でもいいので、作品への コメント・ご感想 を、お待ちしています。
自分障害者でうまくコメントうてないですが
時々見てくださってありがとうございます
時々、拝読させて頂きます。
主人公(周一)が心のうちに抱く後悔と絶望、
その中で自然に「救い」を見出す過程が描かれた、
素敵な文章と思います。
続きも楽しみに読ませて頂きます♪