2018
09.23

アパルトマンで見る夢は 1 椅子

Category: 小説

 座る

 白髪頭の監督は、お辞儀をするように下を向き、その顔を両手で隠した。

 体が前へ傾いたことで、彼の座っていたパイプ椅子が、キィ……と小さな音を立てた。

 静まり返った広い部屋に、その音だけが通って聞こえた。

 数秒後に、ピタピタ、と、裸足の足音が近寄ってきた。

 自分のすぐ正面で止まるのを、監督は闇の中で感じ取った。

 両手をそっと顔から下ろして、目を開くと、白くて細い足が二本、キレイに揃っているのが見えた。

「駄目だ」

 監督はかすれた声を上げた。白い足がわずかにずれた。

「お前は、キミカじゃない。キミカならもっと、上手くできたはずだ」

「私には無理です」

 か細い声で、彼女は言った。

「私にはまだ、この役はできません。セリフが頭の中で、空回りして、どうしても掴めなくて……」

 足先が後ろを向いた。

 監督は、膝に手をつきながら、ゆっくりと立ち上がった。パイプ椅子がまた、先ほどと同じような音を立てた。

 背を向けた彼女を見る。緩いウェーブのかかった栗色の髪が、青いワンピースの腰の辺りまで伸びている。

 今度は彼女が、両手で顔を隠していた。肩がかすかに揺れている。

 監督は、声を低くして、孫ほどの年の離れた娘を、諭すように話した。

「俺は、お前の才能を、買ってるんだ。できるようになるまで、稽古をつけてやる。キミカがしたように、お前もやればいいんだ。お前にとっては、至極、簡単なことじゃないか」

「だから私は、キミカじゃないのよ!」

 彼女の叫びは、がらんとした部屋の壁に当たって、監督の耳に痛く響いた。

「私は、舞花よ。それ以上の何者でもないわ。何度やれと言われても、今の私には、キミカのようにはできないのよ」

 監督の口から、大きなため息が出た。固く目を閉じると、眉間のシワが、さらに深く刻まれた。

「よし。ならば、こうしよう。お前に時間をやる。その代わり、俺の提案を呑んでくれ。ここに、キミカを連れてこい」

 舞花は大きな目を監督に向けた。監督の口から、低く絞った声が放たれる。

「キミカを、ここに連れてくるんだ。これは、お前にしかできないことだぞ」

 監督は上着のポケットから、茶色い手帳を取り出して、その場で素早く走り書きした。

 破ったメモを、舞花の手に握らせる。舞花は無言で、そのメモに視線を落とした。

 地名と番号が、筆圧でついたへこみとともに、右肩上がりに羅列していた。

「行け。彼女が見つかるまでは、この稽古場へは顔を出すな」

 小さく「はい」と言って、舞花は逃げ出すように、裸足で部屋を駆けて行った。

 その足音が消えるまで見送ったあと、監督はポケットに手帳を戻しつつ、言った。

「はたして……」

 独り言の続きを、監督は胸の内で、短くすませた。

 舞花は、あの子に出会えるだろうか……。

 そして再び、古いパイプ椅子に、深く身を沈めた。

 錆びた椅子の短い悲鳴は、自分の心の声を、忠実に代弁したかのように、監督には思えた。



目次 / 次へ → アパルトマンで見る夢は 2 スーツケース



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コメント
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待望の新シリーズ!
開始早々ハードボイルドな展開ですね。
この先予想のつかない展開が来るのでしょうが、
更新毎日楽しみにしています。
頑張ってくださいね。
C33 dot 編集
このコメントは管理者の承認待ちです
- dot 編集
ラストまで一気読みでした。

キミカという謎の存在が、「ああそういうことだったのか」と分かった瞬間、
こちらの冒頭の描き方は、上手い伏線だなと思いました。
また、女優と画家との交流も、とても心温まるものでした。

たくさん作品があるのですね!
これからも読ませていただきたいと思います。
teo dot 編集
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