2018
04.15

稲妻トリップ 4 AKIYOSI

Category: 小説


「AKIYOSI」

胸に付けた、金色のネームプレートには、しなやかなフォントで、そう刻まれている。

私は更衣室で、従業員の制服に身をもぐらせた。

白いシンプルなブラウスに、桃色の上着。

膝丈のスカートは、同じく桃色で、細めのプリーツが入っている。

紺のハイヒールは、昨日のかかとのカサブタを、上から強く押し付ける。

スカートの後ろを押さえながら、エスカレーターで三階へ。

「婦人服売り場→」、大きな看板が誘導している。

頭上の明かりが、やけに眩しい。

眼鏡のマネージャーが、同僚と何かの話で盛り上がっていた。

私は自分の持ち場、レジカウンターの中へと閉じこもる。私はここの地縛霊、のようなもの。

お客はそんなに多くない。けれど二十四時間営業の、長丁場な接客業。

ぬるく、変わらない空調に混ざる、誰かの香水。小さいけれど、絶えることのない雑音の中。

お金を貰っているとはいえ、なんて、タイクツ……。

後ろを見る振りをして、アクビをする。この仕草を、私はマスターしたと自覚した。

「聞いてよ、秋吉さん」

マネージャーが笑顔で寄ってきた。眼鏡が明かりに反射していて、いつも彼女の目は見えない。

「前の事件で、殺された警備員の代わりにさぁ……」

嬉しそうな声色と、色づいた頬。殺人事件が同じ建物内であったのに、まるで彼女は他人事のよう。

「いい男が入ってきたのよ。歳は三十二、って言ってたわ。あら、あなたより十歳も上ね」

そうですか、じゃ、あなたより十歳も下ね、なんて……言ってやりたい気持ちに、私は耐えた。

「育ちの良さそうな、キレイな顔をしてるのよ」

私は無言で微笑んでみせた。

ここでは、スマイルだけが意味を持つ。他は皆無でよろしい……そんな世界。

それが、私のいる世界。



腕時計の二つの針が、十二に重なる。

一階にあるパン屋さんの、焼きたてを知らせるアナウンスが、軽快なメロディーと一緒に流れ始める。

秋吉さん、先にお昼行っていいわよ、と、同僚が言う。

ありがとう、と言って、私は俯く。

固まった足を動かすのは、すごく重い。



従業員以外、立ち入り禁止の屋上で、私は買ってきたパンを食べる。

まだ熱々で、ふっくらしている。バターの甘い、いい匂い。それに、潮風。

大好きな海が柵越しに見える。あの柵がなければもっといいのに。

備え付けのベンチに食べかけのパンを置いて、私は柵の方へと駆けた。

肩まである柵の上から、両手をまっすぐ投げ出して、強い風にさらす。

冷たい風、気持ちがいい。

心や体が、軽くなる気がした。

できるなら、このままさらってほしい。私を、オリの中から……。

「おい!」

突然、肩を掴まれた。

「痛い!」

私が叫ぶと、手は離れた。お互いの顔を見合わせた時、私たちの頭の中は、同じ疑問で埋まっただろう。

あの人だ!

なぜここにいるの、私は肩をさすりながら聞いた。

「今日から入った警備員だ。きみは……」

彼が私のネームプレートを読み上げる。

「まだ死にたいのかい、AKIYOSIさん」

夜見たときは気づかなかったけど、とても繊細な眼差しをしている。憂いをおびたように、塞がれるまぶた。

私ははっとして、思わず声をあらげてしまった。

「勘違いしないで! ただ、海を見ていただけよ! 昨日だって……」

素直な丸い目をして、彼は「ごめん」と謝った。

私も、なんだか顔が熱くなって、まだ名前も知らないこの警備員に、話題を変えて喋りだした。

「ほら、あっちに、海が見えるでしょ。小さい頃、父と二人で、私、あの近くに住んでいたの。今は灯台が建っているところ、あの辺りよ」

彼は、私が伸ばした指先を見つめる。なんて長い、まつ毛だろう。その目の中に、陽の光が映り込む。

「幼馴染みと、浅瀬で毎日遊んだわ」

話しながら、一瞬だけど、私の頭に映像が浮かんだ。

それは十二歳の夏の日だ。同い年だけど、私より背の低い男の子が、リュウくん。黒く焼けた肌と、悪戯に笑った目。

「アキちゃん、ピンクの貝がら、見つけたぞ」「それって桜貝じゃない? いいなー、私にちょうだい」「何でだよ、見つけたのは俺だもん」「けち!」

私は柵から離れて、またベンチに座った。それからパンを手に取って、再び頬張る。

彼はまだ海を見ていた。

何を思っているのだろう。

新しい仕事場で、慣れない怖さ。誰かを助けるために、立ち向かっていく勇気、かな。

食べ終わったパンの袋を、私は片手で握りしめながら思った。

前の人は、万引きをした窃盗犯を、捕まえようと追いかけたのに、犯人の隠し持っていたナイフで、返り討ちにあってしまった。

その殺人犯は、いまだに捕まっていないということ……きっと彼は知っているだろう。

でも、私なんかより、彼はずっと大人に見えるし、そんなこと、気にしてなんていないかも。

……そんなこと?

私は一人で首を傾げた。

どんなに考えたって、分からないはずだ。

同じ場所にいるけれど、私の世界と、彼の世界は違うのだから……。



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