2017
11.25

記憶を追って…

Category: 小説


飲食店の片すみに、いつも一人のお爺さんが座っていた。

店の店長は、もうその光景にはすっかり慣れていたので、毎日お爺さんに、料理を多めに出していた。常連客へのサービスだ。

店長は、手が暇になると、お爺さんの側へ行き、他愛も無い会話を楽しむ。

毎日そうしているうちに、お爺さんは、自分の身の上話を語り始めた。

それによると、こうだ。


お爺さんは絵描きだった。

手にスケッチブックを持って、外を散歩するのが趣味。

ある昼下がりのこと。

お爺さんはその日もスケッチブックを手に、散歩をしていた。

が……そこから記憶が飛んでいた。

気がつくと、なぜか全身びしょ濡れで、川原に寝そべっていたのだった。

スケッチブックもどこで離したのか分からない。無くなっていた。

お爺さんは、少しボケていたのだろうか……?

よく分からないまま、家に帰り、そしてまた、新しいスケッチブックを買った。


あの日、なぜ自分はびしょ濡れになっていたのだろう。

お爺さんは、毎日、謎を解き明かしたいと、店の片すみで考えている。

家から近い、この飲食店は、落ち着いていて居心地が良い。

考え事をするにはちょうどいいと、毎日足を運ぶのだった。


他にすることもないので、ただお爺さんは、スケッチをしている。

店の風景、客の表情などを描いては、店長やその客から、自分の才能を、そっと覗き込まれている毎日だった。



ある日、店長の子供が、お爺さんにこんなことを言ってきた。

「ねぇ、お爺ちゃん。絵がとっても上手なんだから、あの日、覚えている川原を描いてよ。僕が謎解きを手伝ってあげるからさ」

「それは良い。そうしなよ」

店長も賛成して、お爺さんに言った。

「記憶をたどっていけば、いつか真実を思い出すよ」

「そうかのぅ……」

お爺さんはなんとなく、子供や店長にうながされ、スケッチをし始めた。



最初に描いた一枚は、びしょ濡れになって倒れていた、あの川原だった。

「これなら僕知ってるよ! 学校の近くの川でしょ?」

子供は楽しそうにお爺さんのスケッチを眺めた。

「川で魚が釣れるんだよ」

それを聞いて、店長も言った。

「お爺さん、その日川原で、魚獲りをしていたんじゃないかい? 夢中になってスケッチブックを手放し、全身びしょ濡れになりながら、遊んでいたんだろう」

「いやぁ……どうもそんな気はしないのだがねぇ……」

お爺さんは首をひねって答えた。

「おや、まてよ……。わしは靴も無くしていたんじゃ。家に帰るまで、裸足で歩いた記憶があるぞ」

「ほーら、やっぱり。お爺ちゃん、素足で川に入ったんだよ」

子供は声を高めて言った。

「ねぇ、もっと思い出して、お爺ちゃん!」



子供は協力して、その日から、お爺さんが描いたスケッチと同じ場所の風景を、実際にそこへ行って、写真に撮ってくるようになった。

その写真をお爺さんに見せる。

お爺さんのスケッチと写真の風景は、ピタリと一致した。

「よぅし、もう一枚描いてみるかのぅ」

お爺さんの脳ミソが活性化され、色々と思い出すようになった。



次に描いたのは、長い橋の絵だった。

それを見て、店長が言った。

「山の上の橋じゃないか? この付近では、美味しい山菜が採れるんだよ」

「お爺ちゃん、山へ行って山菜採りをしていたの?」

子供は言う。が、お爺さんは首を振った。

「いや……ワシはなぜかは分からんが、何かここで、やらねばいかん気がしていたんじゃよ。うう、それが何だったか、思い出せん……うう、頭が痛い」

「お爺さん、今日はもういいよ。無理をしちゃいけない。また明日、少しずつ思い出せばいいさ」

店長はお爺さんをいたわって、お爺さんもスケッチブックを手に、自分の家へ帰ることにした。

帰り間際に、子供は言った。

「お爺ちゃん、僕、思い出せるように、また明日、橋の写真を撮ってくるよ。お爺ちゃんがやらなければいけないこと、きっと出来るように、応援しているからね!」

お爺さんは優しい子供に見送られて、家路に着いた。



その晩のこと。

お爺さんは急激に、事の真相を思い出した。

思い出した場面を忘れないように、急いでスケッチを描き始めた。

五、六枚描いたところで、お爺さんはそのスケッチブックを持って外に飛び出した。

真夜中だった。

そのお爺さんの奇抜な行動を止める人は、一人もいなかった。

お爺さんはすでに奥さんを亡くしていて、一人身だったからだ。

スケッチブックは、通りかかった、いつも通うあの店の前に、置いてきた。

そして山を登り、長い橋の前まで来た。

お爺さんは橋から眼下を眺め、靴を脱いだ。

眼下には小川が流れていた。



次の日、店長は、写真を撮って帰ってきた我が子の様子がおかしいことに、気が付いた。

「どうした。そんな怯えたような顔をして。写真は撮れたのか?」

店長は今朝からちょっと、気になっていた。

というのも、朝、店を開ける時、店の前にお爺さんのスケッチブックが落ちていたのを、拾ったからだ。

見ると、五、六枚、新たな絵が追加されている。

描き殴ったようなそのスケッチには、どこか暗い山の中や、そして深い水の色、その中で溺れているようなお爺さんの姿があった。

本当はもっと早く子供に伝えるべきだったかも知れない、が、まだそうなるとは思ってもいなかったのだ。

だが、子供の撮ってきた写真を見て、店長は後悔の念に襲われた。


写真には、橋の前に綺麗に揃えられた、お爺さんの靴。

橋の上から撮った小川に、横たわったお爺さんが、血まみれで写っていた。



救急隊が小川へ駆けつけた時、すでにお爺さんはそこにはおらず、学校の近くの川原へ、水の流れで流れてきていた。

後に聞いた話では、お爺さんは奥さんを亡くしてからというもの、何度となく自殺を試みては、上手く死ねずに、悲しみに浸っていたという。

前回は、橋から落ちたショックで、記憶喪失になり、自分が死のうとしていたことも、忘れていたらしい。

そんな時、子供が言ったのだった。

「僕が謎解きを手伝ってあげるからさ。もっと思い出して、お爺ちゃん!」



◆ E N D






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絶望に勝る引力はない
足りないもの 失ったもの
そこだけに目を向ければ
暗澹たる世界に飲み込まれる

そこから逃れようとすると
藁にもすがりたいと思うようになる
それは救済というより
むしろ中毒に近い

その違いはしかし紙一重
闇の中から光へと
自ら這い出ることができたものだけが
その違いを知る

絶望に耳を傾けるな
その状況 その人物を使って語られる
物語の向こうを見通してみろ
同じものがお前を生かしも殺しもする

愛を受けて生の祝福を浴びたものは
幸いである
しかし形ある愛なしに生の洗礼を浴びたものは
より幸いである

そのような者だけが
目に見えるものに捕われることなく
世界の存在すべてを愛することができるのだ

神は人間が理解してくれることを
切望している
神はすべての存在を祝福し
絶望の中にあるものにこそ
最大の愛を降り注いでいる
だが それを目にすることができるものは
稀である
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