2017
12.19

月のライン 6-1

Category: 小説


 傘を持ってホテルのロビーへ向かうと、キトは足を止めた。

 ロビーから続くフロントで、ずぶ濡れの男がチェックインをしているところだった。

 濡れた手で宿帳に名前をサインする。

 キトはすぐ横に近づき、ポケットから取り出したハンカチを差し伸べた。

 宿帳を盗み見ると、細い筆圧で『ロイ』と書かれている。

 ハンカチで水滴を拭うロイの顔を、もちろんキトは知っていた。

 けれど、どこか以前とは違う。なんとなくだが、目がうつろだ。

「自分の家に、泊まればいいのに」

 キトが喋りかけると、ロイは微かに口角を上げた。

 知られたくないことでもあるのかな、とキトは思った。

 深く追求はせず、キトはまた歩き出した。

 ロビーから入口ドアへ。

 表は薄暗く、湿度も濃い。

 深呼吸してもすっきりとしない。

 傘を開いて、キトは雨の町を歩き出した。

 観光客とすれ違うたびに、キトの心臓がドキリとする。

「お前のお祖母さんは、花を栽培してるんだろう?」

 聞いたこともないセリフと声が、ずっと自分の心の中で反響している。

「町長に弱みを握られているんじゃないのか?」

 周りの人々がすぐ近くでキトに話しかけているかのようだ。

 絶え間のない、雨のノイズと重なって、あの時の言葉が蘇える。

「じつは組織の一員でした……でもこのことは、内緒ですよ」

 ずっと隠していられるだろうか。あの日以来、マリとまともに喋っていない。

 警察はラジをスパイによこした。証拠は掴んだ。

 なのになぜ、捕まえに来ないんだ。

 キトの足が止まった。

 ラジが嘘をついているとは、考えられない。

 だけどなぜ、そこまで彼を信用できる?

 ため息をつくと、白い蒸気が飛んでゆく。

 ラジは元の組織のところへ、帰って行ってしまったのかもしれない。

 あるいは、スパイを見破られて、組織からボコボコにされているのかも……。

 そこまで考えて、キトは強く首を振った。

 あんなことを聞きたくなかった。何も知らず、前と同じように暮らしていられたら……。

 立ち止まったキトをさけるように、観光客の足並みは過ぎ去り、キトはただひとり、取り残されているような気持ちがしていた。



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